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【原作者:竹内銃一郎について】

 愛知県出身。1975年劇団「斜光社」を結成。80年に「秘法零番館」を結成。既存の美術作品や映画、戯曲などを巧みに引用し、日常に潜む不可視な悪意や欲望、虚無感などをブラック・ユーモアを交えて描き出す。「あの大鴉、さえも」で81年に岸田國士戯曲賞を受賞した。1995年からは、俳優の佐野史郎とのユニット「JIS企画」を始動し、96年には「月の光」で読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)と紀伊国屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀演出賞を受賞した。また98年に「今宵限りは・・・」他で、芸術奨励文部大臣賞を受賞した。2000年に近畿大学文芸学部教授に就任。08年には学生たちと「DRY BONES」を結成し創作活動を続けている。また2004年には紫綬褒章を受章している。

【「あの大鴉、さえも」について】

 1981年、秘法零番館の旗揚げ公演で初演された作品で、その年の岸田國士戯曲賞を受賞した作品である。内容は三人の独身男が、巨大なガラスを注文者の家に運ぶまでを描いている作品で、当時の共通する話題と微妙に食い違う解釈や記憶が交錯して、可笑しい中にも虚しさや絶望感が漂う演劇となっている。今回の舞台では、三人の独身男が七人となって、さらにスケールアップした個性のぶつかり合いの舞台を目指している。果たして大ガラスは無事に届ける(演じる)ことができるのであろうか?なおタイトルは、マルセル・デュシャンのガラスのオブジェ作品「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも(通称:大ガラス)」から付けられたものである。(Performing Arts Network Japan(PANJ)からの引用)

【原作者:ウージェーヌ・イヨネスコについて】

ルーマニア生まれ(1909)。1歳の時に父親の赴任のためパリに渡り、幼少期をパリで暮らす。その後ルーマニアに戻り、ブカレスト大学に入学し詩や評論を書き始める。29歳の時に再びフランスで生活をはじめ、戦後は出版社で校正の仕事を担当したが、この頃から著述の分野で才能を発揮し始め、1950年に入ると戯曲を次々に発表した。当初はその古典劇の規則を無視(アンチ・テアトル)した「不条理」な作風は受け入れられなかったが、1950年代半ば以降、脚光を浴び始め、その後の各戯曲の上演活動を通じて、現代演劇史に大きな足跡を残した劇作家である。

【「授業」について】

1950年に執筆され、翌年にパリで初演されたイヨネスコの代表作の一つである。この戯曲は、その前年に上演された「禿の女歌手」と共に、1953年に初演されたベケットの「ゴドーを待ちながら」と並んで、前衛的な「不条理劇」を代表する演劇である。またこの劇の登場人物は、初老の教授、女子学生、女中の三人であるが、今回のこの舞台では、女子学生が複数出演して、それぞれの演技が絡み合う中でのストーリー進行という趣向が取られていて、その演出もひとつの観ものとなっている。さらにGTC所属の出演者の他に、構成・演出の清家栄一自身が、教授役で出演することも、今回の舞台の大きな注目点となっている。(フリー百科事典『ウィキペディア』からの引用)